「ハーフ」って失礼なの?!「ダブル」「ミックス」・・いい呼び方はどれなんだ?っていう話し

 

今日はいつもの英語フレーズの紹介ではなく、私がいわゆる「ハーフ」の子どもの親として、「ハーフ」とか「ダブル」という言葉について日頃思っていることをつらつらと書いてみたいと思います。

 

「ハーフ」「ダブル」では表しきれない人々

私にはアメリカ人の夫との間に6歳・3歳・0歳の3人の子どもがいます。私は日本育ちの日本人ですが、我が家は英語で子育てしていて、基本的には日本がベースだけど数年に一度は半年ぐらいカリフォルニアの夫の地元で過ごすという、なんとも行ったり来たりな生活をしています。子どもたちはいわゆる「ハーフ」ということになります。

近年は日本でも国際結婚が増えてきていて、それに伴っていわゆる「ハーフ」と呼ばれる人たちも増えていますよね。「ハーフ」は1/2、半分、という意味なので、「半分は日本人、もう半分は〇〇人」という意味合いです。でもこの言い方、最近良しとしない意見も増えているようです。

「ハーフ」って言うと、、半分だけしか日本人じゃないとか、半分ずつで一人前じゃないとか、アイデンティティが半分に割れてるとか、そういうネガティブな感じがするからでしょうか。

それを解決する新しい言葉として、「ダブル」と呼ぼう!というのを聞いたことがあります。半分ずつじゃないよ、両方100%で200%だよ!という感じです。とてもポジティブですね!

個人的には、「ダブル」というと、言語も文化も全部、100%両方吸収して内面化しているという印象を受けます。そして、要素が「2つ」だ、というのが前提になってる表現ですよね。

でも私の考えでは、
どちらも違うんじゃないかなーと思うのです。

人種・民族の配合という意味でも、アイデンティティや言語・文化の面でも、
ハーフでもダブルでもない人たちの方が圧倒的に多いのではないか

と思うからです。

 

我が家の子供たちの例

まず人種・民族の配合についてですが、けっこう色んな要素がごちゃまぜになっている人が世界にはとても多いと思います。たとえば我が家の子供たちは一見「日本人とアメリカ人のハーフ」ですが、実はそんなに単純な配合ではありません。

 「アメリカ人」といっても、うちの夫は母方の祖母が沖縄出身の日本人でした。母方の祖父はヨーロッパのごちゃまぜ家系で、フランス、イギリス、アイルランド、など色々入ってます。
父方の祖母はイギリスのウェールズからの移民の家系で、父方の祖父については不明ですがおそらくヨーロッパの色んな民族が混ざっていたと思われます。

つまり遺伝子的にいえば「5/8日本人で、1/8ウェールズ人で、残りの2/8はヨーロッパ民族のごちゃまぜ」なわけです。
主人のいとこは、父親が1/4ドイツ人で3/4日本人、母親が1/2日本人で1/2はヨーロッパごちゃまぜ。5/8日本人なので見た目にはアジアの血が強く見えますが、苗字は父親の父方の祖父がドイツ人だったため、ドイツ人の苗字です。さらにそのいとこがメキシコからの移民のご主人と結婚したので、生まれた子の血はさらに複雑に・・。
お友達の例でも、お父さんは日本人とイラン人のハーフで、お母さんはアメリカの黒人と白人のハーフ。そうなると、子ども達は本人たち自体が人種のるつぼなわけです。

世界には、このように
単純に2つだけじゃなくてたくさん色んな遺伝子が入っている人がたっくさんいます。
むしろそうじゃない人の方が全体で見たら少数派といってもいいくらいではないでしょうか。

言語と文化について言えばもっと複雑です。

一番上の子はアメリカで生まれて、1歳半の時に日本に引っ越しました。3歳の時に日本の幼稚園に行くまでほとんど日本語が分かりませんでした。今6歳ですが、3年間日本の幼稚園に行ったので日本語もほとんど問題ないぐらい覚えたけれども、やっぱり英語の方が強いな、と感じることがたまにあります。ただ現在は半年ほどカリフォルニアの夫の地元に住んでいるので、そうすると急速に日本語が出なくなって英語ばっかりになります。でも文化的には、日本の幼稚園に通ったこともあって日本寄りになってるので、ハグをすることがなかなか習慣づかず、ぎこちない感じがあります。

2番目は日本で生まれて、家では全部英語なので第一言語は英語ですが、お兄ちゃんの日本人の友達といつも遊んでいたので日本語も30%ぐらいはマスターしてると思います。文化的にも、普段日本で暮らしていると日本寄りになって、好きなメニューは唐揚げとかカレーとかザ・日本。でも3歳になってすぐアメリカに来て数か月過ごした今は、日本語はもうほとんど出なくなっています。このままいくと当然英語がどんどん強くなって、文化的にもアメリカ文化が強くなると思います。

(3番目はまだ赤ちゃんなのでわかりません!)

うちの子ども達はまだまだ発展途上ですが、こうやって今後も行ったり来たりしながら育っていく中で、大人になった時にどんな言語・文化的アイデンティティを持つようになるのか、不安もありますが楽しみでもあります。

人種・民族・言語・文化が複雑に混ざり合ってるのがこの世界 

こんな風に、
  • どの国で何歳まで育ってそのあとどの国に移ったとか、
  • どちらの親戚と親しくして育ったか、
  • 文化や言語の習得に重要な時期をどこでどう過ごしたか、
  • 家庭の文化的な雰囲気とか主に使われてた言語

などなど、
ほんとに色んな要素によって、その人の言語と文化のアイデンティティは違ってきます。もちろん、まったく同じルートで育ってても個人差というのもあるので、一人一人違って当然です。そうやって複数の国の中で育った子供たちは、兄弟間でもアイデンティティに差が出ることも珍しくないです。

「出身はどこですか」「何人なんですか」と聞かれても、迷ってしまって答えられないという複雑な文化的アイデンティティの人はたくさんいます。

日本で活躍している「ハーフタレント」とよばれる人たちの中にも、生みの親は片方がアメリカ人だったけど幼い頃に両親が離婚して日本で日本人の母親に育てられたので、日本語しかしゃべれないし日本以外の国に行ったこともない。でも見た目が外国人ぽいので英語がしゃべれると思われたりする。という人もいっぱいいますよね。


そういう人の多くには、
「ハーフ」も「ダブル」もあてはまらないのではないでしょうか。

 
 「ハーフ」という言葉が与える印象のような、半分〇〇で半分〇〇というような単純な配合でもないし、かといって胸を張ってどちらも100%持ってる「ダブル」です!と言えるかというとそうでもない。むしろ、世界的に見たら色んな要素を持っている人がほとんどなわけだから、あえてそういう人すべての心情にあてはまるような一つの言葉で呼ぼう、という方が無理があると思うのです。

じゃあ何て呼べばいいのか

強いて何か呼ぶとすれば、私がいいなと思う表現は「ミックス」という表現です。

複数の人種や民族的要素が混ざってて、文化的にも色んなバリエーションがある、というニュアンスがよく出るのではないかなーと思います。

動物の「雑種」みたいな響きだから嫌だ、という人もいますが、「色んな要素が混ざってるから、一口に〇〇人ですとか〇〇系〇〇人ですとかって言えない」という人の心情を一番正確に反映できるのは「ミックス」じゃないでしょうか。「Mixed feelings=複雑な気持ち」とかって言いますが、そんなイメージで。

何%何人とか気にせず、

「まあ要するにごちゃまぜなんだよね。
でも最終的にここに落ち着いて、今ここで幸せ」

というのもありじゃないかなーと思うのです。

ただ、特定の個人の話をしてるなら、「〇〇ちゃんはお父さんが〇〇人だから〇〇だったりするの?それはただのイメージ?」とか、「〇〇さんは色んな国で育ってるけど、どこの国の料理が好きなんですか」という感じで、「ハーフ」も「ダブル」も「ミックス」も使わずに話すことができますよね。人によってはいじめられたりして「ハーフ」とかいう言葉に嫌な思い出が染みついちゃってる人もいるので、安易に使わない方がいい言葉かもしれません。

あえてそういう人たちをひとまとめで呼びたい時も、「色んな民族の血が入ってる人」とか「言語を二つ以上話せる人」とか「色んな文化で育ってきた人」という呼び方はどうでしょうか。 複数の民族の血が入ってれば自動的に多言語を話せるというわけじゃないし、多文化の背景があるとも限りません。でも「ハーフ」という言い方をする時に、そのへんが曖昧になってることが多いような気がします。そういうあたりをきちんと区別して、自分がどういう面について話しているのかはっきりできる表現だと思います。


 

日本にいる時に目立っちゃうことはもうしょうがない

本当はそうやって、日本人かそうじゃないか、という目線で人を見ない社会が一番いいと思います。でも日本に暮らしている人は圧倒的に「日本人」の人が多いので、日本以外の血だったり文化が入っている人が目立ってしまうことは、もうどうしようもないことだと私は思ってます。

私たちが日本に住んでる時は、子ども達について「ハーフですか?」と聞かれることも多いです。私としては、みんな気になってるのに何もないような振りをする方が不自然な気がして居心地悪いので、「ハーフですか?」って聞いてくれた方がすっきりします。「そしたらお父さんがアメリカ人なんです」って答えれば「へー」で終わって、普通の会話をできますよね。

「ハーフ」という言葉はすごくよく普及してるので、普通の人はハーフっぽい見た目の人がいたらとりあえず「ハーフ」と呼ぶと思います。ほとんどの人は、半分〇〇人、とか厳密に考えてるわけじゃなくて、要するに「日本人じゃない要素が入ってる人」の総称が「ハーフ」なんだと思います。

 

言葉にとらわれず自分のアイデンティティを確立するのが理想

一つ強調したいのは、「言葉にとらわれすぎない」ことです。確かに言葉に力があるのは事実で、間違った印象を与える言葉とか、自分の心情を正確に表していない言葉で呼ばれることは、つらいことだと思います。でもさっき書いたように言葉には限界というものがあって、複数の人をひとくくりにして呼ぼうとすれば絶対に誰かが「ちょっと違うんだけどな」となるものだと私は思ってます。

もしその人がその言葉を使う背景に差別的な気持ちがあるんだとしたら、使う言葉を変えさせたところで心のレベルでその人が変わるわけじゃないですよね。その反対も同じで、全然悪気がない人に言葉のチョイスについて目くじらたてる必要もないんじゃないでしょうか。日本人じゃない人と接したことがほとんどない人にとって、「ハーフ」や「外人」も「普通に人間」であることを肌で理解するのは難しい、それが当然だと思います。

ただ、じゃあ悪気がないなら人を何て呼んでもいいのかというとそうじゃない、という所が難しい所で、そう呼ばれて嫌な思いをする人が多い表現だ、って分かってるのにあえて使い続けるのは確信犯なのでアウトだと思います。突き詰めると、自分は色んな情報にアンテナを張って人を傷つけないように言葉選びに気を付ける。でも知らないで使ってる人がいたらその人に対しては怒らず寛容に対応する。という風にしていくしかないんじゃないでしょうか。

私は自分の子が「ハーフ」と呼ばれても気にしないし、夫や子供たちが「外人」と呼ばれても気にしないようにしています。いちいち言葉に煩わされないで生きていきたいからです。子どもたちにも、言葉に押し流されず強く生きていってほしいなと思っています。

日本という国で、何らかの「日本人じゃない要素」を持って生きていく人には、「ハーフ」と呼ばれようが「外人」と呼ばれようが大人の対応で受け止めて、「自分はこういう風に育ってきて、今こういう風に生きているんだ」というものをしっかり持って生きていく、それしかないんじゃないかと思うのです。

 

 

長々とたわごとに付き合って下さってありがとうございました。

では今日はこのへんで失礼します!

 

 

 

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